
ドキュメンタリー系の動画は編集までの取材と構成で8割方勝負が決まります。よってクリエイター才能を持ち合わせてなくてもなんとか生きて行けます。
さて、先日こんなツイートをしました。
若いディレクターに伝えたいこと。①企画は人の中にある②人に出会うために本を読む③動画インタビューの勘所は動機と壁と願い④事実をして語らしめよ⑤撮影者は気配を消せ⑥ナンバーワンを探せ⑦映像より音声に価値がある⑧「みんなの意見」は案外正しい⑨めざすはジャーナルとエターナル
— フルタニケンジ@動画制作者 (@kenfru3) April 8, 2020
動画を編集するとき、伝えたいことをわかりやすくまとめるのは難しい。
どの映像をどの順番でならべたらいいか、考えているうちに時間がどんどん過ぎてしまいます。そう感じる人も多いと思います。
こうした悩みをどうやって乗り越えていったらいいか考えます。
目次
放送局の新人たちがやってしまいがちな”あるある”
新人に番組を作らせるとやってしまいがちな失敗例。現場でいくつも見てきました。
- インタビューが長すぎる
- カメラが動きすぎる
- 余計な情報が多すぎる
- 使える映像が撮れていない
- 編集がまとまらない
- オチがない
- 映像や音響にこだわりすぎる
編集とは手に入れた情報を取捨選択して相手に伝えるための手段です。
視聴者からすると、欲しい情報を正確にかつわかりやすく手短に伝えてくれればいいのです。
取材する側は、視聴者の立場に立って手に入れた素材を料理しなければなりません。そのために必要なことは「伝えたいこと」を一点に絞って強調するしかありません。
活字と違って、動画は桁違いに多くの情報を扱います。その情報をすべて伝えようとすると、相手も自分も疲れてしまって最後まで見る気になりません。
伝えたいことを伝えるために必要なことは、手に入れた情報を捨てることです。
捨てるというと違和感を感じるかもしれません。貴重な情報を簡単に捨ててしまっていいのかと迷う人も多いでしょう。
原因は自分の内にある
新人が陥ったの原因も「迷い」でした。
- 「貴重な機会なのであれもこれも聞いておこう」と質問の数を増やしたインタビュー
- 現場の動きに惑わされ眼に入るものを脈絡なく撮影した映像
- コメントで埋め尽くされた放送原稿
情報は多ければ多いほど伝わるものではないということがわかります。
情報を伝えるための鉄則は盛り込むことではなく、削ることなのです。
映像を見る人が知りたいの映像の中にある自分が知らない事実とメッセージです。メッセージとはこの情報が何のために作られたのかという伝え手の思いです。つまり、伝えたいポイントは実はそんなに多くないのです。
新人とベテランの違いは、メッセージとメッセージを伝える上で最小限必要な情報がしっかり頭の中にあるかどうかの違いに過ぎません。
ベテランは柱となるメッセージを常に意識して取材や構成にあたります。
必要な情報は納得するまで深掘りし、取材者でなければ知り得ない情報に迫ろうとします。逆に誰もが手に入る情報は参考程度にしか考えません。
手に入った情報はどんどん削り、伝えたいメッセージを強調するにたるものだけを残すのです。
それに反して若い新人はどうしても外見にこだわりがちです。華麗な映像、編集のキレ、時代の前を行く音響や視覚効果を優先してしまいます。
ところがそれは建物の外壁のようなものにしか過ぎません。
建物は構造物を先に建て後から装飾を施します。逆はありません。何か重大な問題が起きたとき、作り直すのが容易ではないからです。
動画について考えると、編集は「伝えたいポイント」を描き出す上で要になる作業です。
編集は映像制作の工程の中間点にあたりますが、編集を目印に作業を組み立てることで成果物である映像作品のできばえが見えてきます。
納得いく映像
- ナンバーワンを探す
- 一点突破全面展開
- ジャーナルとエターナル
- 物語を想像する
- 自分の眼を信じる
よくできた番組を見ていると共通する条件があることがわかります。もし番組作りに迷っている人がいるなら、その条件に沿って行動することです。
ジャーナルとエターナルというのは流行と普遍。今まさに起きている出来事を他人に先駆けて伝えることと、時がたっても劣化しないものを探り当てて伝えることです。
人に物を伝えるためには聞く人の興味をかき立てる語り方が必要です。これには物語を使って脳の働きをコントロールするのが一番です。喜怒哀楽を活性化する物語は人類が長い年月をかけて作り出してきた特効薬です。
いちばん大切なのは、自分が一番熱中できることを伝えること。それには自分が得意にしていることを掘り下げることです。自分の眼を信じて作る動画はいつか誰かの目にとまります。