ナレーション原稿の書き方 【映像にないことを語れ】

フルタニ

こんにちは、フルタニです。放送局で番組作りをしてました。 ナレーション原稿の書き方 を書きます。

動画で自分語りができないなら、AI音声が超便利です。私が使っているのはVoicePeakです。

この音声ソフトが使えるようになって動画のコメント入れが格段レベルアップしました。

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さて、動画のナレーション入れで困ったことありませんか。

テレビ番組を注意深く聞いているとわかると思いますが、ナレーションを文字に起こすと意外に文字数がないことです。

だいたいワンカットに当てられる文字数は10〜20文字程度。

原稿用紙一行程度の文字数でコメントは作られています。

また、映像を見ればわかることはコメントから丁寧に取り除かれています。

まさに映像ファースト、コメントはその次です。

こうした条件の中でコメントを書かなくてはならないのですから、書き手、つまりディレクターや放送作家の文章は短くなりがちです。

番組づくりの最終盤で苦労することの一つがコメントなのです。

ナレーション原稿の書き方

正直に言いますと、駆け出しの頃はコメントが頭に浮かびませんでした。

繋がった映像を前に立ち尽くしました。なぜなら、ふだんノートに書いているような書き言葉は全然絵に乗らないのです。

説明しようとすればするほど文章は長くなります。なおかつ心に響かなくなるのです。

文章が生き物だとするならば、まさにそれは書き言葉癖。

動画の世界は話し言葉に近いので自分のクセを修正しなければならないと気付くのに一年近くかかりました。

死ぬほど苦労しました。

尊敬する東村アキコさんの場合は描けなかったと言いますが、出てこないものは出てこないのです。

ナレーション原稿の書き方

冒頭にも言いましたが、動画のコメントは活字メディアと全く書き方が違います。

ゴールデンタイムの番組などでは構成作家さんなどが付いています。

なので、書いてもらった原稿を現場の制作担当者が状況に合わせて直すことになります。

自分で書くことには思った以上のエネルギーを使います。

追い込まれないためには、構成段階から何をどう書くのかイメージを膨らませておくことが大切です。

なぜコメントが大変かと言うと・・・

コメントは脇役。映像が主役だから。

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何が大変かと言うとコメントは脇役なのです。

主役の映像を引き立てることは許されても、的外れのコメントは許されません。

放送業界に入りたての頃、先輩からコメントの心得を叩き込まれました。そのポイントは二つ。

  • 映像を見てわかることは、コメントするな
  • 被写体の気持ちを、勝手にコメントするな

どう言うことかと言うと、

例えば子どもが転んで泣いている映像があったとします。この映像に「子どもが泣いています」というナレーションを当てるようなものです。

情報としては正確であっても、視聴者はこのコメントを余計な情報だと感じてしまいます。

では、この絵に「この子は悲しいと思いました」とナレーションしたとします。

この場合も視聴者は映像を見ただけで被写体の置かれた状態がわかっているので余計な情報と感じます。さらに踏み込むと、視聴者は制作者に対して「お前が言うな」という反感すら感じるかもしれません。

映像を見てわかることはコメントできないということです。作り手は身勝手なコメントはかけない。情報を限定してはいけないところに番組コメントの難しさがあります。

コメントの難しさ

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コメント。つまりナレーションは映像の流れを整理して、受け手にわかりやすく伝える手段として積み重ねられてきた技法です。

一つの映像やシーンには、様々な情報が無数に散りばめられている。出演者の表情や息づかい、暮らしぶりや他の人との関係性、別なシーンとの関連など、挙げれば切りがないほど情報であふれているのだ。そこへナレーションが加えられると、その映像やシーンの意味合いが明確になり、確かに観客にとっては見やすくなる。

「作り手が身勝手に情報を限定してはいけない 」 佐々木 健一(ささき・けんいち)

よくできた番組ほど時間が短く感じるのは、映像とコメントのバランスが取れているからです。

映像を見ただけではわからない情報をコメントが補い、コメントだけでは抽象的すぎてわからない事柄を映像が直感的に示す。

評価の高い番組ほど絶妙な呼吸で進行していることがわかります。

しかし、いざ映像で描かれていない情報をコメントにすることになるとなかなか書けません。

目で見えることが邪魔になって書くべきコメントが浮かんでこないのです。

取材不足で映像を補強する事実が積み上げられないことだってあります。場合によっては映像作品を貫くメッセージのような文章を的確に打ち込まなくてはならない場面もあります。

映像は繋がっている。話の流れもできている。しかし書くべきコメントが頭に浮かばない。

浮かんでいても言語化できない。コメントを極めることは番組を極めることと思い知るのが完成直前のコメントづくりなのです。

特効薬はあるか?と聞かれても、それは筋トレと同じことだとしか言えません。

小さな言い回し一つですら、自分が積み上げてきた経験の中からでしか使えるものにはならないからです。

たとえば文章がわかりづらかったら? 読み進むのをやめてしまう人の割合が増えていくはずです。テンポが悪かったら? 間違いだらけだったら? やっぱり離脱者が多くなる。自分の役に立たないと思ったら? 内容と比べてあまりに長文だったら? 雑誌でもウェブでも、ページをめくるか閉じてしまいますよね。そう考えていくと、文章のおしまいまで読者を連れていくことがどれだけ困難か、理解してもらえるのではないでしょうか。


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ナレーションをなくしてみたら

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そのナレーションをあえてやめてみる。コメントを極力封じ、撮影された映像と構成力だけで勝負しようという考え方があります。ノーナレーションという手法です。

「作品の“クオリティー”は、“観客が受け取る”情報量で決まる」 つまり、「いかに観客に多くの情報を受け取ってもらうか」が重要なのだ。そうした視点で捉えると、実は、「ナレーションが無いほうが、観客が受け取る情報量は多い」

「作り手が身勝手に情報を限定してはいけない 」 佐々木 健一(ささき・けんいち)

極めて難度の高い番組に挑もうという試みです。

一つの映像やシーンには、様々な情報が無数に散りばめられている。出演者の表情や息づかい、暮らしぶりや他の人との関係性、別なシーンとの関連など、挙げれば切りがないほど情報であふれているのだ。そこへナレーションが加えられると、その映像やシーンの意味合いが明確になり、確かに観客にとっては見やすくなる。だが、それと同時に、観客が受け取る情報は「ナレーションで読まれた文章(に付随する映像)」に限定されてしまう恐れがある。そもそも私たちは、ナレーションのような“説明”がなくても、ごく普通に他人の心理を読み、その場の状況を理解しながら暮らしている。日常的に“ナレーションのない世界”で無数の情報を受け取り、考えを巡らしながら生きているのだ。そうした人間の営みから見て、説明的なナレーションを省いた作品のほうが好まれ、世界的な評価も高い状況は肯(うなず)ける。

「作り手が身勝手に情報を限定してはいけない 」 佐々木 健一(ささき・けんいち)

まとめ

ゴールデンタイムの番組では採用されることはありませんが、こうした視点を大切にする番組を最近見る機会が増えました。

ナレーションがない番組は伝えられる情報量が多くなる代わりに、視聴者自身が考えることを余儀なくさせます。

要するに視聴者の負担が増えるのです。ですから娯楽を求める視聴者からは迷惑がられる演出方法で、視聴率に縛られるテレビ局としては困った番組かもしれません。

例えばどういう番組があるか。一例をご覧ください。

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見ていて疲れたと思います。最後まで見終わった人は多くないかもしれません。

しかし、映像という行間に様々なものが隠れていたことを垣間見ることができたのではないかと思います。

映像作りの面白さ

作品作りとは、いかに効果的に観客に情報を受け取ってもらうかです。

そのために作り手は様々な手段を用意して観客の反応を見極めなければなりません。コメントは必要条件ではなないのです。

どんな手法を適切に使うか・・・そう考えるとコメント作業が少し面白くなるような気がします。