ドキュメンタリーとは何か

ドキュメンタリー



ドキュメンタリーとは何か

ドキュメンタリーとはなんでしょうか。ドキュメンタリーとは「虚構を用いずに、実際の記録に基づいて作ったもの。記録文学・記録映画の類。実録です。

「事実をありのままに記録したもの」とイメージしている人もいると思いますが、「実際の記録に基づいて」という但し書きがミソです。

ドキュメンタリーは実際の記録とは限らないのです。

「偶然の事実を記録した映像」だけで番組をつくるのは大変です。

“事実をありのままに記録”し、それを物語にするには、偶然を予知していなければならないからです。

すでに起きてしまった”事実”を番組にするとき、制作者はどのような方法を使って答えていけばいいのでしょうか。

ドキュメンタリー制作者たちは様々な方法でこの難題に挑んできました。

演出されたドキュメンタリー

1922年に公開された映画「極北の怪異」はドキュメンタリーの原点と位置づけられている作品です。

監督・脚本・撮影をつとめたアメリカの映画監督ロバート・J・フラハティ。

彼はアイルランド西岸の孤島・アラン島の土地に生きる人々の不屈の精神力を映し出そうと考えました。

この作品が作られたのは、公開当時はまだ「ドキュメンタリー」という言葉はない時代でした。

公開された映画に描かれた島の人々の暮らしは、欧米先進国の人たちに大きな驚きを与えました。

しかし、その後この映画にはいくつかの仕掛けがあったことがわかってきました。

小さなカヌーからぞろぞろ人が出てくるカット。

ドーム状の氷でできた住居の内部が明らかに天井に穴を開けたとしか思えない画角で撮影されているカット。

主人公のナヌークの妻として登場する人物は、実際には妻ではなかったという。また、レコードで音楽を聞いたナヌークが、仕組みがわからず、レコードを噛んでみるというシーンがあるが、ナヌークは前にレコードで音楽を聞いたことがあったという。さらには、映画の中ではモリやセイウチの牙を研いだナイフを使っているが、当時すでにライフルや鋼のナイフを使っていたという。映画評「極北の怪異(極北のナヌーク)」 – 映画中毒者の映画の歴史

フラハティの行動記録は残っていません。

おそらくしばらくの期間、現地に暮らす人々と生活をともにした上で、ストーリーボードを描いて撮り上げた作品だろうということが想像されます。

ドキュメンタリーの定義はかなり曖昧なのです。

ドキュメンタリーとやらせ

「事実をありのままに記録したもの」という定義を巡って

制作者側の論理と、見る側の期待との間でおきるすれ違いが大きくクローズアップされる時代がやってきました。

1992年秋に日本放送協会(NHK)が『NHKスペシャル』で放送した2回シリーズのドキュメンタリー番組『奥ヒマラヤ禁断の王国・ムスタン』です。

金銭を渡して住民に雨乞いをさせたり、スタッフに高山病のまねをさせるというものでした。

「ムスタン取材」緊急調査委員会が設置され、「NHK放送ガイドライン」がつくられました。

制作者側は「技術的、経済的な制約があった昔は『事実』に迫るための手段としてやむを得なかった」と弁明しました。

しかし、演出が入っていないという前提で番組を見た観客側からは、

倫理面から「裏切られた!ヤラセだ!」という声が上がりました。

批判が上がる背景には映像が持つ訴求力がありました。

番組制作者は大きな倫理的責任があると思わざるを得なかったのです。

その訴求力が生まれた背景にはプロパガンダとしても使われた過去がありました。

プロパガンダ・ドキュメンタリー

プロパガンダ・ドキュメンタリーとは「観客に政治的な思想を植えつけることを目的とする映画の総称」です。

第二次大戦中、ドキュメンタリー映像はプロパガンダとしてさかんに使われました。

ノンフィクションであるとは限りませんが、現実を素材とした方がリアリティがあることからドキュメンタリー作品の印象が強いように思えます。

モンタージュ理論を確立し自ら実行した人物として知られるロシアの映画監督エイゼンシュテインの名作「戦艦ポチョムキン」は「オデッサの階段」シーンが有名です。

後の映画人にも大きな影響を与えたこの作品はプロパガンダ映画としても有名です。

NHKスペシャル「憎しみはこうして激化した ~戦争とプロパガンダ~」2015年8月7日放送(NHKオンデマンドで公開中)

この中で俎上にのぼったのが2作品です。
「Freedom Comes High」(13分)「My Japan」(16分)

アメリカ海兵隊が太平洋戦争の戦場で撮影した、およそ3000本、500時間のフィルムがある。

当時制作されたプロパガンダ映画の元素材だ。米軍は「映像は兵器だ」として、戦意を高揚させる映像を大々的に流す一方、「不都合な映像」を検閲し排除していた。

番組では日米双方のプロパガンダで、憎しみはどのようにエスカレートしたのか。

膨大なフィルムと極秘資料、そして元カメラマンらの証言から、戦争とプロパガンダが何をもたらすのかを明らかにする。

いまや番組制作者は映像作品の持つ力を自覚し、潔癖な倫理観を持つことが求められているのです。

作る側と見る側の摩擦がなぜ起きるのか、摩擦が不毛な議論に陥らないようにするために何が必要なのか。

片方には「真実」を伝えようとする制作者の誠意と表現能力があります。

他方には「真実」を見ようとする視聴者の成熟度があります。

ドキュメンタリーにおける真実の表現とは、両者のせめぎ合いそのものなのかもしれません。

制作者側は「メッセージを伝える」ことの意味を、原点に立ち返って考える必要は今も続いているのです。




ABOUTこの記事をかいた人

元テレビ番組制作者。再就職→窓際→WEBコンテンツ制作で復活。64歳にして動画制作に自分の価値を見いだしました。目指すのは地域に根ざした"伝える系"の動画制作です。スキルアップと感謝の気持ちを持ちながら楽しく生きていきます。編集のお手伝いも始める予定です。